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土佐礼子A 世界陸上

土佐礼子A 世界陸上

経歴

松山商業入学後に名将竹本英利監督に出会い、これが縁で
陸上競技に取り組むようになる(大平美樹も同じ松山商の後輩)
1993年 愛媛県高校総体3000mで優勝
1994年 全国高校選手権5000mに出場。45位。
1995年 全国都道府県対抗女子駅伝6区に出場。区間39位 。
1996年 日本インカレ5000m・10000mに出場。
5000mは27位、10000mは周回遅れで中止。
1997年 中四国インカレ5000m3位 。
初マラソンは松山大学在学中の1998年2月。
土佐の地元で行われた愛媛マラソン。
記録は平凡ながらもいきなり初優勝!

大学卒業後、三井海上(当時)へ入社。
これは竹本監督のコネ。
竹本監督の順天堂大学時代の先輩・鈴木秀夫が監督を務めていた。

1999年 札幌ハーフマラソンで6位。世界ハーフマラソン選手権日本代表に選出。
世界ハーフマラソン選手権でも1時間9分36秒で6位入賞。

2000年3月 名古屋国際女子マラソン大会。優勝した高橋尚子に次いで2位。
2時間24分台の好記録をマーク。マラソンで頭角を現し始める。
同2000年11月 東京国際女子マラソンでも2位。
エドモントン世界陸上選手権女子マラソン代表に内定。

2001年 世界陸上エドモントン大会。
優勝したリディア・シモンと終盤サイドバイサイドのデッドヒート。
わずか5秒及ばず位でゴール。銀メダルを獲得。

2002年4月 ロンドンマラソンでは4位 2時間22分台をマーク。
自己最高記録を更新。

その後、足の故障続きで走れない日々が続くが、
アテネ五輪最終選考レースの名古屋国際女子マラソン(2004年3月)で
約2年ぶりにフルマラソンに出走。
練習不足と体調が万全で無い中でもレースは序盤から土佐が積極的に集団を引っ張る。
後半の30Km過ぎ、大島めぐみが土佐を引き離し独走体勢に。
誰もが大島めぐみの勝利を疑わなかったがその後失速。
終盤37Km付近で大島を追い上げた土佐が執念の逆転。
奇跡の優勝を果たす!


土佐礼子の超劇的な勝利に、
・野口みずき(内定済み)
・坂本直子
・高橋尚子
で決まりかけていた女子マラソン代表選考は紛糾。

日本陸連はさすがに土佐礼子を外す訳にはいかず、
選考レースで優勝出来ずタイムも悪かったの高橋(前回シドニーオリンピック金メダリスト)を
アテネ五輪代表から落選させる苦渋の決断を下す。
(補欠代表は千葉真子
そのためか心無いファンから日本陸連、土佐が所属する三井住友海上に、
又坂本の所属する天満屋等にも嫌がらせの電話やメール等が殺到したときく。

それから5か月後の2004年8月 アテネ五輪女子マラソン本番。
土佐は優勝した野口みずきの中盤でのスパートにはついていけなかったが、
その後も安定した走りで見事5位でゴール(坂本直子も7位入賞)。

2004年12月15日 タヒチで松山大学の先輩にあたる村井啓一と結婚。
結婚後も競技を続け、2005年5月の静岡国際陸上で10000mに出場。
32分07秒66という自己新記録をマーク。

2006年4月 アテネ五輪以来のフルマラソン(1年8か月ぶり):ボストンマラソンに出走。
終始持ち前の粘りを発揮し、優勝したケニアのリタ・ジェプトゥーらに続く3位入賞。
優勝にはあと一歩及ばなかった。

同年11月 東京国際女子マラソンへ6年ぶりにエントリー。
ディフェンディングチャンピオンで過去2度のオリンピックで代表を争った
高橋尚子との直接対決(2000年3月の名古屋以来6年8か月ぶり)。
強く冷たい風雨という悪天候の中、土佐は終始レースを支配する展開で高橋に競り勝ち、
2年8か月ぶりにフルマラソン優勝。

これがもとで土佐礼子は6年ぶりの世界陸上女子マラソン代表に選出された(世界陸上2007)。

自己最高記録では同僚の渋井に劣るが、
渋井が体調により記録の変動が大きいのに対し、
土佐のマラソンは安定していて、順位は常に5位以内でゴール。
初マラソンとアテネ五輪を除けば2時間26分台以内で走っており、
安定感では土佐礼子が渋井を上回っている。

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